【特集】PUMA(プーマ)設立の歴史・兄弟仲違いの真実の理由
皆様こんにちは!和歌山の古着屋LucidoBellです。陽射しがどんどん柔らかくなって過ごしやすくなってきましたね♪
秋はブログ担当者の好きな季節でございます。虫が大量発生する以外は(泣)
さて、前回の記事ではadidas(アディダス)の特集をさせて頂きましたが、その中でadidas(アディダス)とPUMA(プーマ)の設立者は
兄弟同士という事を知ることができたと思います。
という事で今回はアディダス創設者アドルフの兄、ルドルフ・ダスラーが創設したプーマの特集をさせて頂こうと思います。
ぜひ前回のアディダスの記事と合わせてご覧くださいませ。
第二次世界大戦により分かたれた兄弟の絆
プーマの設立者ルドルフ・ダスラーは、弟のアドルフ・ダスラー(後のアディダスの設立者)と協力してドイツのヘルツォーゲンアウラハという地で”ダスラー兄弟商会”という靴製造工場を営んでいました。
ヒトラーによるナチス政権が始まった際ナチ党へ入党していた兄弟ですが、世界へドイツの強さを表明するためにナチスはスポーツに目をつけることになり、スポーツシューズを製造していた兄弟はその恩恵を多く受けることとなります。
第二次世界大戦がはじまるとルドルフは徴兵されてしまいますが、同じく徴兵されたアドルフは短期間で帰還を命じられます。
その理由が”アドルフが政府下の靴製造工場にとってなくてはならない存在”だったこと。それだけ弟アドルフの靴職人としての才能が認められた物だったのです。
このことがダスラー兄弟の子孫にまで影響を及ぼすほどの深い溝ができてしまったのでした。
独立、PUMA(プーマ)の誕生
その後、ダスラー兄弟商会を解散しそれぞれ独立した2人。
アドルフは”adidas(アディダス)”を設立し、ルドルフは”RUDA(ルーダ)”を設立。その後親しみやすい響きの”PUMA(プーマ)”へ改名しました。こうして全世界に知られるスポーツウェアブランド、プーマが誕生したのです。
“首を曲げた町”住民をも巻き込んだ派閥戦争
2人が産まれ絆を別った地、ヘルツォーゲンアウラハでは街に流れている川を隔たりにそれぞれプーマとアディダスの会社が建設されることとなり、住民の大半はどちらかに就職している形となりました。
このことが影響し住民の間では”アディダス派”と”プーマ派”の派閥ができる事となり、住民同士で顔を合わせた際はまず履いている靴を確認する事から”首を曲げた町”と呼ばれるようになりました。
それぞれに就職している家庭の子供達も町中でサッカーなど試合をする際は派閥で分かれ、シューズもそれぞれの派閥のものを履き試合をさせていたほどでした。
愛されたPUMAの名作達
プーマ発足後バスケやテニス、サッカーなどのスポーツシューズを中心に展開。
その中で生まれたプーマの名作“スウェード”はその名の通りスウェード生地を使った柔軟性のあるバスケットボールシューズで
機能とデザイン性の高さからヒップホップダンサーなどにも愛される名作となりました。
トレードマークの動物は?
動物をあしらったマークで有名なプーマですが、元ネタはピューマという肉食のネコ科動物を模しています。
最初はダスラーの頭文字の”D”と合わさったようなロゴでしたが、そのDの組み合わせも無くなりピューマの目や口も簡略化されていった結果シルエットのみとおいう現在のシンプルなロゴになりました。
そのため、古着屋などで目や口があるプーマのタグを見つけたらかなりの年代物(ヴィンテージ)と思って良いでしょう。
いかがでしたでしょうか?プーマやアディダスだけでなく、世界中で知られているような老舗ブランドでは必ずと言って良いほどブランドの歴史に戦争が絡んでいる事が多いのですが、その影響で町や子孫まで巻き込む仲違いを起こしてしまったのは悲しいですね。
現在では両ブランドの経営者はダスラー家ではなくなり、良好な関係を結んでいるようです。
では、また次回の更新で!
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